順応は努力と比較して、得られるものが少ないと言っても、順応をやめられない人は多い。これは、私たちは学校教育で、順応を学んでいるからだ。順応が身に染み付いているといってもいい。しかし、あなたが、学校教育で学んだ、順応という価値観を変化させなければ、順応を正しい努力には変えられない。
日本は、中学校までを義務教育と定めているため、誰もが学生生活という経験を持っている。そこでは、もちろん、大人から教育を受けるわけだが、その学校教育で、私たちが学んでいるのは、学問だけではなく、社会統制のための順応も学んでいる。
学校は、学びの場であり、国語や算数、理科や社会と授業のカリキュラムも豊富にある。そして、何十人もの同級生と、同じクラスで授業を受ける。体育祭や音楽祭となれば、全校生徒が参加する学校行事もあるのが基本だ。
このような集団では、社会に出るために、必要な協調性、社会性を育てるのだが、それと同時に、順応する姿勢を身に付ける。これは、学校教育は、対個人で行われるものではないので、生徒をまとめるための統制は欠かせないためだ。なので、学校側も個人の尊重、自由を校訓として掲げながらも、生徒に順応を身に付けてもらうしかないのだ。
学校生活を思い出してみれば、授業の前には朝礼、帰りにはホームルームがあったはずだ。あなたも「起立、礼、着席」という学級委員の号令とともに「起立、礼、着席」をしていただろう。
この号令こそが、統制のために行われている。その号令に生徒は従う。このように私たちは、毎日統制に順応してきたのだ。起立と言われて、起立をしないものなら、担任教師から叱られるので、生徒は、この統制に順応するしかない。
他にも、体育祭や全校集会では「右にならえ」という号令に従い、列を乱さず並ぶように指示される。この号令も、統制のための号令であり、生徒は、その号令に、順応しなければならない。
ここで、はみ出そうものなら、全校生徒の前で指摘を受ける羽目になる。つまり、この場合も、統制に順応するしかない。
このように、私たちは、幼い頃から統制に従うこと、つまり、順応することを学んでいる。だから、社会へ出ても、その癖が抜けずに、順応してしまう。しかし、社会に出れば、順応する必要がないことは多い。
学校教育は、社会へ出るための学びの場であり、社会に出れば、生きる目的は、人それぞれだ。なので全ての状況、場面において、順応して、他人と合わせる必要は全くない。順応が必要な環境においてのみ順応すればいい。
本書を読んでいるあなたなら、順応から得られるものは、努力に比べて、圧倒的に少ないことは十分理解しているはずだ。他人は、あなたの未来の扉を開ける鍵を持ってはいない。あなた自身が、あなたの鍵を集めなければならないのだ。
価値観をいきなり変えることは難しい。本書で書いている順応に至っては、学校教育によって、幼い頃から植えつけられている。しかし、本書で努力と順応の違いに、気付いたのであれば、少しずつでも、価値観を変化させてほしい。そして、正しい努力によって、あなたの目的へと近づいていってほしい。