ネットの普及で裏切りの抵抗感が薄れた

第1章では、信じることは、他人に期待感を押し付けることあり、相手がその期待に応えてくれなければ、裏切られたという感情から、自分を苦してしまう、ということを、伝えてきたが、あなたも「そうだよね」と頷けたところは、多々あったのではないだろうか?それほど、信じるという言葉に、苦しめられている人が、多いということだ。そして、本章では、人を信じるリスクは、非常に大きいということを伝えていく。

まずは、現代の状況に目を向けてみる。現代はインターネット社会と言われるほど、インターネットが浸透している。インターネット社会になる以前と比べて、様々な変化があるが、出会いのあり方を見てみよう。

インターネットが、家庭に浸透してきたのは、90年代後半頃だ。それまで、新しい出会いは、学校や勤め先が多かった。毎週通っている店で、出会いを見つけた人もいるだろう。これらは、本人がその時、その場所にいる必要がある。

現代はどうだろう? もちろん、90年代後半と同じで、その時、あなたがいる場所で、出会いが生まれる。しかし、それだけではなく、ネットを通じて、その場所に、あなたががいなくても、出会うことができるようになった。ネット環境があれば、日本だけではなく、世界中の人と出会うことができる。

これは、個人的に素晴らしいことだと思っているが、ネットは相手の顔が見えないせいか、実在する人をバーチャルだと、勘違いしている人たちも大勢いる。嘘の情報、他人の誹謗中傷、誇大広告を思い浮かべれば分かる。普通の感覚では理解できない範囲の嘘をついたり、当たり前のように、他人を騙そうとしている。こういった背景から、ネットでは怪しいと思ったら、クリックしないというのは、常識に成りつつある。

ネットは、これまで人と会うために必要だった、移動時間がなくなり、手紙がメールに変わっただけだ。その先にいるのは、バーチャルではなく、実在する人間である。しかし、拍車を掛けるように、インターネット情報は混乱している。このような勘違いした人が増えれば、カオスになることは、あなたも想像がつくはずだ。では、インターネット社会では、どのように人を付き合いをすればいいのか? それは、人を信じなければいいだけだ。

信じたことで、期待どおりにならなければ『裏切られた』『詐欺だ』と大騒ぎしたあげく、打ち負かされるくらいなら、最初から信じなければいい。現在のインターネットの嘘の情報、誹謗中傷、誇大広告を見れば分かるとおり、ネットの情報を心から信じるのは、リスクでしかない。とは言っても、ネットにも素晴らしい人は大勢いる。ただ、第1章で伝えたように、そういった人であっても、私は心から信じることはない。

私もこうやって電子書籍を出版しているので、あなたから見れば、私もネットの人になる。だから、私のことを心から信じる必要もない。私も勝手な期待感を押し付けられたあげく、その期待と反する結果が返ってきたと、勝手に暴走して、騒がれては迷惑でしかない。だから、私のことを、心から信じる必要はない。それでも、あなたが人を信じるのなら、それは、個人的な期待感の押し付けであるということを理解しておこう。

『我慢と忍耐を魔法の言葉に変える』『信じない勇気』などの著者。コンテンツ プロデューサーとして、小さな経営の仕組みをつくる仕事をしています。年商1億規模、メルマガ読者累計4000名超え、500人を超える個人、経営者に仕組み創出コンテンツ制作、マーケティングなどを指導して現在も実力者を多数輩出。また教育事業、輸入事業、リサイクル事業の経営者でもある。

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