努力は嫌だ、と私が考えていたのは学生の頃。自分のやりたいことと違うことをやりたくなくて、よく学校をサボった記憶がある。
しかし、努力したくないというのはそれっきりで、今もなお努力はしたくないと悩んでいる人は、出口の見えないトンネルを進んでいるかのような暗闇なんだろう。
好きなことをやればいいと言いたいのは山々なんだけど、その決心ができないのだろう。努力は誰にでも必要だ。けれど、それは目的を果たすためはという限定だ。そして、努力は人を選ばない。
天才も努力しなければ才能を活かすにも限度がある、だから努力した人が名を残すのだよ。努力が嫌だ思っているならば、それは目的ではないか、目的が現実的ではないかのどちらかじゃないのか。
だから、見当違いの天才と比べてしまう人がいる。凡人が努力をしてたどり着くのは天才ではなく秀才。それは努力で身につけた能力だからね。
秀才とはなんだ、天才とはなんだ、その世界観をここでは考えてみたいと思う。これを読んだ後にはきっとあなたが比べるべきは、秀才だと分かるはず。その方が現実的で、あなたの身になることは間違いない。
【—このページの目次—】
1.努力しない天才と、努力する天才の世界、天才を知れば憧れは消える
2.努力する凡人の世界、凡人の秀才を知れば憧れる
3.凡人は天才を選べない、身の丈を知って秀才になれ
努力しない天才と、努力する天才の世界、天才を知れば憧れは消える
天才とは天性の才能を持った人のことで、生まれながらに才能を持っているというのはなんとも素晴らしい。だけど、天才は天才なだけに、その世界は孤独なんだよね。
天才は、生まれながらにして常人とはレベルが違う。それは地球人の中にぽっと宇宙人が生まれたかのようなもの。
天才はその才能から、努力しなくても常人を超えているんだよ。それは羨ましい限りだけど、周りには理解者がいない。同じように肩を並べて張り合うライバルも、仲間もいない。だって秀でているからね。
天才はいわば宇宙人だから発想、思考に違いもでるし、そうなると多勢の社会の中では、疎外感を感じるだけ。怠けて努力をしなければ、いつかはその才能を凡人が追い越してしまう。
そうなると、場違いの凡人社会の中で埋もれ、生きていくには結局凡人社会に適応する努力をする羽目になる。才能を伸ばそうと努力をしても、その努力はストイックでなければ、凡人社会に落ちてしまう。そんな0か10かの世界なんだ。
世の中はほぼ凡人の世界だ。凡人が天才を勝手に持ち上げ、天才だと崇め、失敗すればやれもうダメだとか勝手に評価をするような風潮はあなたにも眼に浮かぶはず。天才の世界は素晴らしい世界だけじゃない。
努力する凡人の世界、凡人の秀才を知れば憧れる
学校にも職場にも、慕われる人、できている人だと思える人がいるなら、それは凡人の中の秀才という人。
その人は、勉強ができるとか、仕事が出来るだけではなく、誰にでも人気があったり、誰からも慕われたり、頼られる人なはず。その人は天才ではくて凡人だよ。その人は努力をしてそのような人物になっている。それが秀才というもの。
仕事だけできても、コミュニケーション能力が乏しければ、そんな人にはなれない。人に慕われる人であっても、仕事が全然できなくては頼られたりなどしない。人に好かれる理由は、他人への理解力とコミュニケーション能力があるから。
仕事が出来るのは、それゆえの判断力や決断力、視野の広さがあるから。そしてこれは才能ではカバーしきれないのだよ。経験でしかつけられない能力だからね。ということは、努力すればこの秀才になれるということなのだ。
天才ではなかったとしても、努力すれば秀才になれる。仕事もできて慕われ、頼りになる人、この秀才が凡人の手の届く範囲で、だけどそれは憧れのような素敵な人ではないかな。
凡人は天才を選べない、身の丈を知って秀才になれ
天才と秀才を比べてみたけれど、天才は天性のものだから、なろうと思ってなれるものじゃない。だから才能を天才と比較しても悲しくなるだけ。けど、元の資質が違うのだから比べ間違いをしていることにも気づかなければ。現実的に考えるなら、天才ではなく、秀才を目指すべき。
もし、天才になれたとしても、努力をしなければその才能が通じるのは、長くても社会に出る前まで。だって社会は凡人の作った社会だからね。そして天才であれば、すごい努力をしなければ、結局凡人社会に取り残されてしまう。
天才の道は辛いのだ。それに比べて秀才は努力でなれる人。これが現実的な努力の果てなのだ。その秀才は何も驚異的な成果を残す人だけではなくて、小さな会社だとしても親しみを持たれるようないわゆる人間のできた人のこと。
それは勉強だけでは獲得できない、人柄を持った人なのだよ。むしろ勉強ができなくても、人に好かれる人であれば、それは他人の価値観も理解できる人で、ならば視野も広いのは当然。視野が広ければそれだけ判断、決断の材料にもなる。だから仕事もできる人になれるということ。
勉強に努力を注ぐのもいいのだけど、こういう人間力への努力が大事なことを忘れれば、人間社会では生きにくなるのは目に見えてる。めっちゃ努力いるじゃんということではなく、努力の仕方は色々あるってことだよ。
努力しても天才には敵わない、だからなんなんだ。天才とは世界が違うんだ。自分の身の丈を知って、現実的に秀才を目指そう。
最後に・・・
努力に挫折してしまってる人、それは一生をダメにするような勝負だったの?もう挑戦はできないの?そんなことはないはず。とはいっても、挫折すれば誰だって、その事実から簡単には離れられなくて、世界はそれだけに見えてしまうこともある。
けれど、落ち着いて考えれば、いくらでも方向転換はできるのが現実。挫折に傷を癒す時間は必要だと思う。だから傷が癒えたら、次の挑戦をしよう。
もし、その挑戦が難しいものに見えるなら、少し方向を変えることが必要。大きく見えた壁は横から見たらとても薄いものかもしれない。やることが多すぎるなら、一つずつやっつけていこう。進めば景色は嫌でも変わるから、成し遂げることより進めることの方が大事。