努力しても才能には敵わない凡人が世界をを動かす!その理由

努力しても才能には敵わない、遺伝子が違う、資質があるから成功するんだと、何かとこの天才は的にされてる。凡人やなの?天才が幸せだと思ってるの?と疑問。

希望は自由だけど、できないことの言い訳にしてないかと疑問。だって、人生が充実するかどうかの基準は天才か凡人かでもなく、努力が沢山できるかできないかではないからね。それに、多分の人の目標が、一般的な範囲なら、凡人こそができることじゃん。

あなたが、才能がないから努力はできない、才能には敵わないと考えているのなら、凡人が世界を回しているのだという現実をよくみて欲しい。現実的な夢なら、凡人だって掴めるのだということを、ここで明らかにしたいと思う。

【—このページの目次—】
1.天才と凡人の違いを知れば才能は怖くない
2.才能を臭わせる隣のできるやつと凡人の違い
3.才能ある天才ではなく凡人が世界を動かす
4.才能ある天才にできない、凡人の努力が成功する時

天才と凡人の違いを知れば才能は怖くない

天才と凡人の違いは、才能。天才はその才能が目を出してくる。まあ、それを育てなきゃ意味はないんだけど、そんな天才は世の中にはわずかで、世の中は凡人だらけ。

天才と呼ばれる人の名を上げてみれば、それが少ないことはわかるよね。

世界人口77億人と言われる中のどれだけか、わずかより超わずか。あとは凡人だということよ。凡人の世の中なんだから、なにも嘆く必要ないのよね。

もし、あなたが天才になりたいなら、早く才能を育てること。そうすればよくて天才、悪くても凡人の中のトップクラスになれる。だけど、天才だっていうのは、他人が決めることであなたが決めることではないから、いつ天才と呼ばれるかは分からないけどやるしかない。凡人の中で成功したいというならば、それは射程範囲だから諦めることはない。

才能を臭わせる隣のできるやつと凡人の違い

天才じゃないとしても、隣のできるやつに負けてる。だから自分は才能がないと思ってしまう。それは、自分が負けたことで、未来に対する不安が生んだ虚像にしか過ぎない。

隣のできるやつ、その人が世界で通用するかと言えば、それはどうだかわからないよね。

同級生や同僚にできるやつがいれば、自分と比較してしまうのがよくない。その学校という小さな範囲で、その会社という小さな範囲で、世の中を測るのには無理があるでしょ。

他人と比較してできない自分を見て、これ以上大きな舞台では無理かもと考えるのだろうけど、その不安は間違ってる。学校や社会には、そこ独特の環境があり、物差しがある。

それにぴったり収まる人はうまくいく。だけど、その環境や物差しに当てはまらない人がいるのは当然。人は細かく違うからね。だからあなたの才能はその環境では伸ばせてないだけなのだよ。

それにもかかわらず、自分はダメだと思うのは、他人と比較して自分が作り出した幻影なんだよ。それで自分を潰すのなら、その幻影は消さなきゃならない。

才能ある天才ではなく凡人が世界を動かす

世の中を見渡すとどこもかしこも凡人だらけ。凡人が社会を作っているのです

天才はいるのだけど、天才も一人では生きていけない。だから凡人の社会がなければ天才ではいらなれないのだよ。

天才と言われる人がたとえばオリンピックの選手として、そのご飯を作っているのは凡人。練習場を提供できるのも管理できるのも凡人。天才、凡人関係なく、すべての活動は繋がっているのだ。

天才はすごいという憧れはあるけれど、天才にもできないことがある。それは社会を運用していくこと。引退すればできるのだけど、天才をしているには、他の事をする余裕はない。だから凡人が社会を作り、運用している。恩着せがましく言えば、天才が力を発揮できるのは、凡人が作る社会がベースにあるおかげなんだよ。

だから、凡人だからと諦めるのは早い。天才への道を解くなら、専門家に聞いた方がいいけれど、そうでないならこの事実を受け止めて自信を持っていいのだ。

才能ある天才にできない、凡人の努力が成功する時

天才も才能を発見して育てなければ、凡人も同然。天才も凡人も関係なく、才能は見つけて育てなきゃなんだけどね。だから、努力の才能があるかどうかは、育ててみないと分からないということなのだ。

天性の天才でも何もしなければ天才にはなれないでしょ。

努力するのは、才能を発揮するためで、才能があるかどうかは稀にいる天才でなければ最初から分かることではないのね。天才も凡人も、努力して才能を育てることで能力を発揮するってことなのさ。そして、才能の育て方は一通りではないから、才能がないと判断するのはもったいない。

日本には義務教育があって、それは凡庸な教育方法なのだ。そこで誰でも才能が花開くかと言えば、難しいでしょ。だって才能は人それぞれなんだから。

隣の勉強のできる子は、その教育方法に合っているってことなの。

とはいっても学校は卒業しなきゃならないし、会社なら会社の評価基準もあるでしょう。そこでは自分に合った才能の育て方を見つけなきゃ息が詰まるだけ。他人と比較しててもそうね。

努力しても自分には才能がないから出来ないというのは、自分に合った才能の育て方をしてないということなのだよ。才能は人と同じではないのだから、自分に合ったやり方を見つければ、努力はできるものさ。

最後に・・・

自分が頑張ってると自称思ってるのに、うまく行かなければ、つい責任を他に探りたくなる。比較する所ではない隣の芝生が青く見えてしまう。うまくいっているときは、他人なんて気にしないはず。確かに、一緒の学校、一緒の会社とか、他人と同じ事をやっていれば、比較しがちな環境にいるよね。

だけど、成績トップが人生幸せか、昇進が人生幸せかと思えるのは後になってからでしょ。しかも、環境が合ってないかもしれないのだ。人生の目標を定めた時、それが叶うように向かっていく、それが努力というもの。

天才だって凡人だって努力しなきゃ目標は達成できない。あなたの夢が一般的な範囲のものなら、ちゃんと手が届く。むしろ天才には出来ない事なのさ。エジソンと自分の人生を比較してだめだーと思うのではなく、自分に合った努力を見つけて育てていけばいい。

YOSHIKA YAMASAKI

マルチクリエイターとして活動。幼い頃から表現の世界に足を踏み入れ、それは、写真、絵画、詩をまたぎ、人間の深層心理までをも引きずり込んだ表現意欲を探り続ける旅となる。地図を持たない自由な旅を国内外問わず続け、人の多様性を学び、自然を学び、自らの表現の糧とする。自由奔放な発想で、大手外資系企業との経歴も抱えながらも、現在は表現者として、人と人の関係、ひいては、人と自然の関係を探る旅を再開している。

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