「親の言葉の暴力が怖いという記憶が離れない」「親が怖いとトラウマになっている」と悩んだりしませんか?消したいはずの記憶なのに消せないと辛い思いをしているでしょう。
この記事では、親による言葉お暴力がトラウマになってしまうケースと、どうすればそのトラウマから解放されるかについて書いていきます。
親の厳しい教育が辛いにも関わらず、怒鳴られ、認められることがなかったのは自分が悪いのだと自分を責めてしまい、人間社会に生きにくさを感じているのではないでしょうか?
本当にあなたは悪かったのかというと、そうではないのです。あなたは気づかなかったのかもしれませんが、教育とは厳しいばかりではないのです。ここでは、問題となる教育とは、それがどんな影響を及ぼすのか、どうすればいいのかを書いていきますので、どこで歯車狂ってしまったのかその追求と、自信を取り戻すための参考にしてください。
【—このページの目次—】
1.親の教育に潜んだ言葉の暴力
2.親の言葉の暴力がトラウマになった場合
3.親の言葉の暴力というトラウマに負けず自分らしく生きるために
親の教育に潜んだ言葉の暴力
私たちは親から育ててもらい成長するのですが、誰にでも親に叱られた記憶はあるはずです。それは教育のためであるはずなのですが、中には教育ではなく言葉の暴力が潜んでいるのも確かです。
叱るのは本来教育のためではあるのですが、それが教育を果たすためではない場合、またその度がすぎる場合に、言葉の暴力になるのです。
叱られるのは悪いことをした時です。しかし、悪いことをしたと認め、反省をすることに非情な言葉は必要ありません。そして、その叱り方が子供の人格を否定するような叱り方である場合、それは教育のためにはなりません。
子供は親のいうことを聞いて育ちますので、たとてば誤ってお皿を割ってしまった場合に、どうしてそんなにそそっかしいの!と叱っては、こどもはそそっかしい自分が悪いのだと考えてしまうのです。その他には、たとえば意地悪だと叱れば子供は自分は意地悪なんだと思い込みます。
こういった叱り方が続けば、自分を否定されるだけで、自己否定感でいっぱいになってしまうのです。もちろん否定されるだけでは、自分の親さえも信じることができず不信感を抱きます。そうなれば、他人に不信感を持ってしまうのは当然のことなのです。
不信感ばかりでは人間社会は生きにくいだけで、心休まるところがありません。それは不必要な言葉の暴力が元になっているのです。
親の言葉の暴力がトラウマになった場合
親への不信感も持てずトラウマになってしまった場合、どのようにしてそれを解消するのかというと、まずは正しく判断をすることが必要です。
言葉の暴力がお前のためだと言われたとしても、それが正しいのかどうかは分からないのです。それをまずは正しく判断しなくてはいけません。
教育だといわれても、親が何をしてもいいというわけではありません。もし、あなたが傷つくようなことであれば、それは親だからこそその傷に本来は気付くべきなのです。
叱られるとすれば、その行為を叱るべきであり、あなた自身を否定してはいけないのです。ですから、どんな言葉をかけられたとしても、あなたが悪いわけではない、その行為が悪かったのだということに気付かなくてはいけません。
こうやって正しい判断をしていくことで、あなたの否定感は少しずつ消えていきます。しかしそれでも否定的な気持が止まない場合は、精神科や心療内科を受診するのも方法です。決してあなたが悪いわけではないということを忘れないようにしてください。
親の言葉の暴力というトラウマに負けず自分らしく生きるために
トラウマは簡単に消えて無くなるものではありません。本人の過去の辛い記憶が、今現在に結びついているので、それを変えるということは尚更難しいはずです。
先ほどのように、自分で正しい理解をすることと切り分けることができればいいのですが、難しい場合には、やはり医者に相談をすることをおすすめします。
最後に、毒親に育てられたという本人が書いた本を紹介したいと思います。彼女が幼少期に植え付けられた不安や怒り、否定的な感情などから、どのように対処すればいいかが書いてあります。
講談社より翻訳版として出版されていますので、同じ境遇だからこそ、どうやってトラウマを解消していくかよく分かると思いますので、ぜひ参考にしてみてください。
【毒になる親】
著:スーザン・フォワード
翻訳:玉置悟
講談社+α文庫
親の言葉の暴力が怖い トラウマとの戦いのまとめ
親の言葉の暴力が怖い トラウマとの戦いのまとめは以下になります。
・親の教育に潜んだ言葉の暴力
・親の言葉の暴力がトラウマになったとき
・親の言葉の暴力というトラウマに負けず自分らしく生きるために
子は親を選ぶことができません。親は子を生み育てる時に、1人の個として人間を育てているのだという意識が必要です。子を自分が生み出したものだと考えてしまえば、それは危険です。
教育とは様々な方法があり、その方法も家庭により違いはあるのですが、教育の仕方を間違ってはいけないのです。なによりも子供が1人の人間であるということを忘れてはいけません。