「勉強なんて将来役に立たないのに…」「なぜ勉強しなければならないんだろう」と考えることはありませんか?将来、歴史の問題が出るわけでもなければ、因数分解が出るわけでもない、それなら勉強しなくてもいいじゃんと思いますよね?
この記事では、なぜ勉強をしなければいけないのかを、将来勉強が役に立つ場合という視点で考えてみました。そして、勉強は将来役に立つのかどうかを、個人的見解になりますが書いていきます。
将来役に立たないならば、勉強をやらなければいけないのは意味がない、将来使わないのなら勉強しなくてもいいじゃないかと思いますよね?確かに使うものと使わないものとあるのですから、そう考えるのは分かります。
ここでは、勉強の役割が果たすものを書いていきますので、勉強が役には立たないと考えていても一度は読んでみてください。勉強は役に立つのかどうか一緒に考えてみましょう。
【—このページの目次—】
1.学校の勉強は将来役に立つのか
2.学校の勉強が将来役に立つ仕組み
3.勉強は将来のためになるのか?
学校の勉強は将来役に立つのか
日本には義務教育がありますので、中学校までは誰でも学校で勉強をします。学校での勉強というと5教科と、その他に体育や美術などもありますね。学校で教えているのは勉強だけなのかというとそうではありません。勉強以外にも、実験や調理実習と表題について取り組むという勉強も行います。しかしこれらは、全て将来社会へでて使うものかといえばそうではありません。
なぜなら、社会に出れば、それぞれの人生を進んでいくので、使うものと使わないものとは人それぞれになるのです。
しかし、誰でも買い物の時には暗算をしたり、友人とメッセージのやりとりをしたりしています。これらは義務教育があったからこそできていることなのです。
歴史に興味がある人なら、大人になっても歴史を詳しく調べていたり、政治家になれば政治のことはまず知っておかなければいけません。会計士であれば数学は必須でしょうし、会社員でもプレゼンの発表には図解説明をしたり、正しい日本語の資料を用意しなければならないでしょう。
学校時代のようにテストはありませんから、気付きにくいのですが、大人になってからいたるところで勉強した成果を発揮しているのです。もちろん、勉強したものを全て使うわけではありません。
たとえば大人になってアーティストになったという人でも、税金処理をやらなければいけなかったり、出張に行けば地図の読み方を知らなければ目的地にたどり着けないのです。
こうやって私たちは普通のことができるようになっているのです。もし、勉強して覚えていなければ大人になって勉強することになります。
私たち大人が、普通のことをできるのは普通かもしれませんが、たとえば教育が整わない国であれば、文字の読み書きさえ全員ができるわけではないのです。そう考えると、日本は義務教育のおかげで一般的に普通といわれることが誰でもできるようになると考えられるのです。
学校の勉強が将来役に立つ仕組み
学校で勉強したものが、社会の中のいろんな場面で役に立っているということは分かりました。しかし、例えば因数分解なんか、社会に出てから私は使ったことがないのです。それなら、自分が必要なものだけ勉強すればよかったのではないかと考えてしまいます。
これは個人的な意見であって、国側から見れば個人に合わせた教育というう仕組みは整えられてないので、できないというのが答えです。
日本の義務教育は無償の教育です。誰もが一定の教育を受けることができるという面は素晴らしいでしょう。しかし、もちろん子供全員の面倒を見ているので、ルールが必要になります。そしてどの場所で教育を受けても同じレベルでなければ困るのです。
それが平均化に特化した教育になってしまった理由なのです。だれでも得意不得意があるわけですから、成績にばらつきがあるのは当然です。しかし、将来にどの道に進んでも困らないように一定のラインが保たれた教育を受けるので、成績が悪ければ必死で頑張らないといけないのです。
その代わりに、義務教育を受けた後には、それぞれの目指す高校へ行ったり、中には〇〇科と分野に絞った勉強ができるようになります。人によって就職という選択もできますね。
ただし、この平均化された教育は、得意不得意がある場合にこれも平均化しようとしてしまうのです。ですから不得意分野は克服できても、得意分野が伸ばせないというデメリットがあります。
日本の教育は諸外国から比べてみても、高度な教育なのですが、学力の平均値は高くても、得意分野を活かした成果は得られていないのです。つまり、誰もが高度な知能を持っていますが、そこから抜きに出る人材は排出できない国なのです。
この結果は、平均化した教育が裏目に出てしまった結果といえるでしょう。得意な分野が活かせなければ、平均値の高いまま社会に出ます。社会に出れば会社員になり、横並びの生活をする人が多いのもこの教育が元にあるでしょう。
この周りと足並みを揃えて歩くといった社会の風潮は、義務教育の平均化された教育には適した社会だといえます。もし、そういった人でなければ、社会の風当たりは厳しいのが現実です。
勉強は将来のためになるのか?
ここまでで分かるように、学校の勉強は私たちの知識レベルを一定以上に上げてくれているのです。そして、人それぞれに進む人生が違うので、すべての人の役に立つわけではありませんが、教養として生きているのです。
これは、日本の無償の義務教育のおかげなのです。
人によって進む人生は違いますので、どの勉強を将来使うのかは、人それぞれになります。しかし、学校を経て、社会に出てからも、進路を変えたりしながら人はよりよい暮らしを求めていきます。ですから、何を選んでも困らないような教育、これが学校の勉強なのです。
小さい頃から夢が決まっていて、勉強全てはいらないと分かっていたとしても、多くの経験をすることで人間が豊かになれるのです。そして人を引っ張るような人たちはこの豊かな人間性なくしてはありえません。
ですから、学校教育は教養のため、人間性を豊かにするための経験なのです。将来何度も訪れる機会をもののにしていくならば、これは欠かせないものなのです。
学校の勉強は将来役に立つのは本当か? 私たちが勉強する理由のまとめ
学校の勉強は将来役に立つのは本当か? 私たちが勉強する理由のまとめは以下になります。
・学校の勉強は将来役に立つのか
・学校の勉強が将来役に立つ仕組み
・勉強は将来のためか
私は小さい頃から夢があり、関係ないものは勉強しないでいいやと考えていたような生意気なガキでした。しかし、これまでの社会生活の中で、自分が勉強をしなかったことには、一切話題に触れられない、あたかも知ってるようなふりをするということで通すしかありませんでした。そして、現在は他の仕事もやっており、そうなると勉強をしなかったものを、また勉強し直すという手間が増えたのです。
ただ私の場合は、周囲の冷たい視線の中でも、自分の夢に向けて全力投球するような子供だったので、記事に出したような平均化は免れ、そちらの面では抜きに出られる成果を残しています。
日本の教育は素晴らしいのですが、個性を伸ばせるような教育もあればいいのだと思います。