ここまでの流れで、信じることは悪いことだと感じた読者もいるかもしれない。しかし、信じることが、すべて悪いわけではない。本書では、信じるという言葉が現代社会では、異常なくらい美化されているから、ネガティブな表現を多用しているが、信じることで力を発揮する場合もある。
その1つが共同作業になる。チーム活動などの共同作業は、信じるという言葉を、うまく利用することで、原動力を高めてくれる。その結果、チームの目標達成率も高くしてくれる。
昭和の技術者が、いい例だ。自動車会社スバルの初期車種の開発に携わった百瀬晋六氏も、信じるという言葉を、うまく使っている。スバル360は歴史に残る名車であるが、このスバル360は革新的なプロジェクトで開発された。
当時は、自家用車を持つのは、大企業の社長や有名人であり、庶民が手を出せるものは、中古の自転車くらいだったという。また、軽自動車規格では、本格的な四輪自動車を実現するのは、難しい時代でもあった。初の純国産車となるトヨタのクラウンも、当時は非常に高くて、庶民には、到底手の届かない存在だった。
その時代に、二輪車用として、使用されていた360ccという、小さなエンジンで車を作ると計画したのがスバルである。家族を乗せて安全に走れる四人乗りの車を、庶民の手に届く価格で販売できる車を作るという計画を立てたのだ。
この時代に、そのような車は、夢のような話でしかなかったという。そして、百瀬氏を筆頭に15人の有志たちの手により、1958年スバル360は誕生した。
開発者たちは、最初にその計画を聞かされた時は、実現不可能だと思ったという。当時の技術では、それほど、非現実的な計画だったのだ。そんな中、たった15人ではあるが、百瀬晋六氏を中心に「できる」「やれる」とチーム全員が、同じ目的に対して、この計画は成し遂げられると信じた結果、その夢を実現可能に変えた。
また、夢のエンジンと言われた、ロータリーエンジンを搭載した、自動車の量産に世界で初めて成功した、マツダを例にあげても、同じことが言える。
この時代は、世界規模で自動車業界の技術競争が、繰り広げられていた。世界中の技術者たちが、このロータリーエンジンの研究と開発を行っていたが、その難しさから、夢のエンジンと言われていた。
当時のマツダは、三輪車や軽自動車の開発をメインに行なっていたが、マツダは世界中の技術者たちが、夢にみたエンジンを搭載した車を作り上げたのだ。まさに、ダークホースとして、その名を世界中に広めた。
この開発チームはリーダーの山本健一氏を含めた47名の部下だ。彼らは、いずれも広島出身で、原爆の傷跡とともに「できる」「やれる」と夢を掲げた。そして、長い道のりの末、ついに夢のエンジンの開発に成功する。しかし、不運にもその直後のアメリカの排気規制、オイルショックにより打撃を受け、経営危機に陥るほどの、赤字を抱えてしまうのだ。しかしマツダは、ロータリーエンジンの存続は、社会的責任であるとし、不屈の精神で挑み続け、その目的を遂げた。
どちらの例をとっても、彼らは夢を信じることで、様々な問題にも、どん底の状態にも耐え、挑戦し続けた。そして夢を叶えた。このように、同じ目的に向かって、チーム一丸となって、目的を達成できると、信じることは、思わぬ原動力を生み出すということだ。