誰かの蕾にではなく、自分の蕾を開花させる

本書で書いたとおり、私は会社員を辞め、現在は会社を経営している。

石川県という生まれた土地に住み、あちこちと駆け回り複数の事業を経営している。そして多くの取引先、クライアントがいる。

これらは私の目的だった。

生きていれば、私だけではなく、あなたも様々な目的を設定するだろう。その目的を達成させるためには努力は必要不可欠になる。

しかし、目的のために努力しても、思ったように物事が進まないことで悔しい思いをすることは多々ある。不安になることもある。

そんな状況の中で、必死に努力をして、目的を達成させたあとに待っているのは、達成感であったり喜びだと思っている人が多い。

確かに目的を達成させることで、喜びを得ることは出来る。それまでに道のりの困難であればあるほど喜びは大きなものになる。

しかし、目的を達成したあとは、喜びだけではなく、燃料切れが起きたかのような脱力感や虚無感に見舞われるということもある。

私は、そのような経験を何度もした。

その度に、私は自分の目的の発端、そして目標はなんなのかと振り返り、なぜそうなったのかと考えることも少なくなかった。

だから、私は自分らしく生きること、人生の心臓を創ることが重要だと主張している。

そして自分らしくあるために、我慢と忍耐の違いを定義して、これらの言葉を使い分けるのだ。

誰のためでもない、自分のための人生なら、努力は自分の成長の結果として必ず花を咲かせる。

誰かの蕾にではなく、自分の蕾を開花させる。

そして、そこには喪失感、脱力感など入る隙はないのだ。

完璧な人間はいないし、人間の能力は誰もそう違わない。

これらは、誰もが自分らしく人生を謳歌できるという意味の裏付けでもある。

日本人には、内向的で努力をする国民性がある。

だから、努力に一生懸命すぎて、その影をストレスとして内に秘めてしまう人がいる。つまり我慢で人生を窮屈にしている人たちだ。

逆に、努力が足りずに、その足りない努力から生まれた結果からストレスを内に秘めてしまう人もいる。これは忍耐が足りないということだ。

我慢と忍耐の使い分けをすれば、このようなことにはならない。

もっと自由になれる人が増える。

この想いが執筆にあたるきっかけとなった。

忍耐力のない私でも目的を達成させて人生を謳歌している。

こんな私でも人生謳歌しているのだから、あなたも出来るに違いない。

本書では、誰のものでもない自分の人生を生きること、つまり自分らしい人生を歩むこと。そして、その人生を謳歌するための弊害となるであろう我慢について私の学びを書いてきた。

これを読んでいるあなたが、ここから何かヒントを得て、一度きりしかない人生を謳歌するきっかけとなれることを願っている。

『我慢と忍耐を魔法の言葉に変える』『信じない勇気』などの著者。コンテンツ プロデューサーとして、小さな経営の仕組みをつくる仕事をしています。年商1億規模、メルマガ読者累計4000名超え、500人を超える個人、経営者に仕組み創出コンテンツ制作、マーケティングなどを指導して現在も実力者を多数輩出。また教育事業、輸入事業、リサイクル事業の経営者でもある。

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